1980年代後半、新日本プロレスのテレビ中継は視聴率の低下に直面していました。そこで、テレビ朝日は番組のリニューアルを決定し、1987年4月から『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』として新たなスタートを切りました。これにより、プロレス中継はバラエティ要素を取り入れた新しい形態へと進化しました。
『ギブUPまで待てない!!』の誕生とその背景
『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』は、視聴率の低下を受けて、プロレス中継にバラエティ要素を加えることで、一般視聴者の関心を引こうとする試みでした。番組のメインMCには山田邦子が起用され、スタジオ収録のトークを中心に、試合中継を挟み込む構成となりました。しかし、この新しい試みはプロレスファンからの反発を招き、視聴率は低迷しました。
『ププププロレスニュース』の登場とその影響
『ププププロレスニュース』は、1990年代初頭に放送されていたプロレス情報番組で、福澤朗アナウンサーが担当していました。このコーナーは、プロレスの試合結果や選手のコメントを伝えるもので、福澤アナのユニークな進行が特徴でした。例えば、選手のコメントをものまねで代読するなど、視聴者に親しみやすい内容となっていました。
視聴者の反応とその後の展開
『ギブUPまで待てない!!』は、プロレスファンからの反発を受け、視聴率は低迷しました。特に、試合の途中でスタジオに切り替わるなど、試合中継の内容が変更されることに対して、ファンからの不満が高まりました。その後、番組は『ワールドプロレスリング』に戻り、試合中継中心の構成へと変更されました。
まとめ
『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』と『ププププロレスニュース』は、プロレス中継の新しい形態を模索した試みでしたが、従来のプロレスファンの期待とは異なる方向性を取ったため、反発を招きました。これらの番組は、プロレス中継のあり方についての議論を呼び起こし、後のプロレス中継に影響を与えました。
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