もし冬木が新日本に移籍していたら?プロレス界の歴史を変えた可能性を考察

プロレス

冬木弘道が新日本プロレスに移籍していた場合、どのような展開が待っていたのでしょうか?越中、長州、そして三銃士との関係をはじめ、新日本プロレスでのドラマを想像することは非常に興味深いテーマです。この記事では、もし冬木が新日本に加わっていたらどうなったか、様々な可能性を掘り下げてみます。

1. 越中の大ブレイクにはマイナス?

越中詩郎の大ブレイクには、新日本での競争が重要な役割を果たしました。もし冬木が新日本に移籍していた場合、越中とのタッグがうまくいったとしても、二人が同じ団体で活躍することにより、越中が目立つことが難しくなったかもしれません。越中はその後も悲壮感を持ちつつ、タッグ戦線で活躍を続けましたが、冬木と競い合うことで逆にシングル戦線での推進力が落ちることも考えられます。

冬木の存在が越中のキャリアにどれだけ影響を与えたかは分かりませんが、新日本でのタッグ戦線は確実に盛り上がったであろうことは間違いありません。

2. 理不尽大王の誕生は変わらず?

理不尽大王(冬木弘道)は、SWSへの移籍を経てプロレス界で独自の立ち位置を築きました。新日本に移籍しても、冬木の個性とスタイルが変わることはなかったでしょう。理不尽大王というキャラクターが生まれた背景は、彼のユニークな個性にあります。新日本でもそのキャラクターが活かされ、理不尽大王としての魅力が発揮された可能性が高いです。

このキャラクターは、どんな団体でも彼の独自性を際立たせていたはずで、理不尽大王が誕生する流れは変わらなかったでしょう。

3. 三銃士とバチバチ抗争!

新日本に冬木が加わっていた場合、若き日の三銃士たちとのバチバチの抗争が繰り広げられた可能性があります。橋本、武藤、蝶野という三銃士が活躍し始めた頃、冬木はそのキャリアの中でシングル戦線においても実績を積み重ねていました。彼の経験と三銃士たちの勢いがぶつかることで、壮絶な抗争が生まれ、観客にとっても記憶に残る対決が実現したかもしれません。

もちろん、当時の三銃士の勢いには敵わなかったかもしれませんが、冬木の存在が抗争に一層の深みを加えたことでしょう。

4. 越中のIWGP戴冠は?

越中が新日本にいた場合、冬木とのタッグでのアジアタッグ王座やIWGPタッグ王座の戴冠はあり得たかもしれません。しかし、越中のIWGPヘビー級王座獲得は少し難しかったかもしれません。新日本の中で激しい競争を勝ち抜かなければならず、越中がその中でタイトルを獲得するには相当な努力とタイミングが必要でした。

それでも、タッグチームとしての成功やタイトル挑戦があった可能性は十分に考えられます。

5. ロン毛ユニット結成!

冬木と俊二のロン毛タッグが実現していた場合、新日本のユニット文化にも新たな風が吹いたことでしょう。長州力のUターンがあった場合、「長州、あんたコッチ側だ!」という冬木のセリフが話題になり、新たなユニット形成が進んだかもしれません。

冬木と長州の関係性や、彼の言動がどれだけ新日本に影響を与えたかは分かりませんが、確実にユニット内での活躍が注目され、新たなブレイクのチャンスが生まれたでしょう。

6. フットルースはなし

新日本での移籍後、冬木のフットルース的な要素が薄れていった可能性があります。ターザン後藤との関係は、新日本移籍後も続いた可能性がありますが、やはりメインストーリーではないと考えられます。

そのため、フットルースとしての活動に影響は少なかったでしょう。

まとめ

冬木弘道が新日本に移籍していた場合、彼のキャラクターは新たな展開を迎え、越中とのタッグや三銃士との抗争など、多くの注目を集める出来事が生まれたでしょう。また、理不尽大王としての個性を新日本でも発揮し、ユニット結成やタイトル戦線での活躍があったかもしれません。しかし、越中のIWGPヘビー級王座戴冠やフットルース的な展開については影響が少なかった可能性もあります。新日本での冬木の可能性は、今でもファンの間で語り継がれるテーマとなっています。

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