1987年6月に行われた第5回IWGP決勝リーグ戦で、アントニオ猪木がマサ斎藤を下して初代IWGPヘビー級王者となったことは、プロレス史において重要な出来事となりました。しかし、この時、1983年に行われた第1回IWGP決勝リーグ戦で、猪木を失神KOで下したハルク・ホーガンを初代王者にすべきではなかったかという議論も存在しました。本記事では、IWGP初代ヘビー級王者選出に関する背景とその後の影響について深掘りしていきます。
ホーガンと猪木の初代王者選出についての議論
初代IWGPヘビー級王者に関して、1987年の決勝戦でアントニオ猪木が優勝し、晴れて王者の座に就いたことが発表されました。しかし、83年の第1回IWGP決勝リーグ戦で、猪木を失神KOで破ったハルク・ホーガンが初代王者になるべきではなかったか、という議論は存在していました。
ホーガンはその後、プロレス界でワールドワイドな活躍を見せるようになり、彼の実力と影響力から、この議論はさらに加熱することになりました。しかし、猪木の団体内での立場や、当時のプロレス業界の状況から、最終的に猪木が初代王者に選ばれたという背景があります。
ビル・ロビンソンの影響と初代IWA世界ヘビー級王者
1987年のIWGP初代王者問題と関連して、1968年に国際プロレスが開催した第1回IWAワールドシリーズにおけるビル・ロビンソンの影響を振り返ることも重要です。ビル・ロビンソンはその大会で優勝し、IWA世界ヘビー級王者の称号を得ました。この流れを踏まえ、プロレスファンや関係者は、初代王者を誰にするかという問題においても、過去の伝統や実績を重視していたことが伺えます。
ホーガンが初代王者になれば、彼の名声やその後のキャリアから考えると、大きな歴史的な影響を与えた可能性があります。しかし、当時の日本のプロレス団体での内部事情や、猪木が長年築き上げてきた地位が、最終的な判断に影響を与えたのは明白です。
猪木とホーガンの比較:どちらが初代王者に相応しかったか
猪木とホーガン、両者はプロレス界の中でも突出した存在であり、その実力や影響力は非常に高いものでした。しかし、どちらが初代IWGPヘビー級王者に相応しかったかという問題は、今もなお議論の余地があります。
猪木はその後も日本のプロレス界を牽引し、名実ともにトップレスラーとしての地位を確立しました。対して、ホーガンはアメリカのレスリング界を席巻し、後のWWEを象徴する存在となりました。どちらが初代王者にふさわしいかを決定することは難しい問題であり、その選択は歴史的な背景や業界の動向に大きく左右されたと言えます。
まとめ
初代IWGPヘビー級王者に関する議論は、猪木とホーガンという二人の偉大なレスラーの間で交わされました。最終的には猪木が初代王者に選ばれましたが、その選出にはさまざまな背景が影響しています。ホーガンの後のワールドワイドな成功を考慮すれば、彼が初代王者にふさわしかったという意見も理解できますが、猪木のプロレス界での影響力と地位が選ばれた理由だったのは間違いないでしょう。
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