ダイナマイト・キッドとデイビーボーイ・スミスの全日本移籍とその背景

プロレス

1984年11月、ダイナマイト・キッドとデイビーボーイ・スミスが新日本から全日本プロレスに引き抜かれた事件は、当時のプロレス界を大きく揺るがしました。この動きに関して、プロレスファンやマスコミの間で多くの疑問と議論が巻き起こったことは記憶に新しいでしょう。この記事では、その引き抜きの背景や馬場の思惑、そして全日本にとってのメリットについて探っていきます。

1. 馬場がジュニア級選手を引き抜いた理由

馬場は体の大きいレスラー同士の戦いをプロレスの醍醐味として重視していました。そのため、ジュニア級のレスラーであるダイナマイト・キッドとデイビーボーイ・スミスを引き抜いたことには驚きの声が上がりました。しかし、彼らが持つ技術や、当時のプロレス界における彼らの人気を考慮した結果、馬場はあえてジュニア級選手を迎え入れる決断をしたとも考えられます。

特に、キッドとスミスのタッグチーム「ロッキー・マウンテン・ブルーズ」は、その爆発的な技術とコンビネーションで一世を風靡し、全日本のタッグ戦線に新たな風を吹き込む可能性を秘めていました。

2. 外国人レスラーとしての扱いと「飼い殺し」の可能性

全日本が引き抜いた後、キッドとスミスはトップ戦線ではなく、むしろ中堅クラスとして扱われることになりました。この点については、ファンの間でも議論がありました。全日本は他団体に対する牽制として外国人レスラーを引き抜くことが多かったものの、その使い方に関しては疑問視する声もあります。

また、彼らが本来期待されていたような活躍をする機会を得られなかった背景には、全日本プロレス内での他の外国人レスラーとのバランスや、馬場が持っていた固有のレスラー観が影響していた可能性も考えられます。

3. 新日本への嫌がらせか、それとも戦略的な意図か

全日本が大金を使ってキッドとスミスを引き抜いたことについて、一部では新日本に対する嫌がらせの一環であったのではないかという意見もあります。しかし、単に新日本への牽制だけではなく、全日本自体の戦力強化を狙った計画的な動きの一部だったとも言えるでしょう。

実際、彼らは新日本のジュニア級戦線にとって脅威であり、その引き抜きはプロレス業界全体に対して強いメッセージを送る意味を持っていたことは間違いありません。

4. まとめ:全日本のメリットと馬場の戦略

全日本がダイナマイト・キッドとデイビーボーイ・スミスを引き抜いたのは、新日本に対する戦略的な一手であり、また全日本のタッグ戦線を強化するためでもありました。しかし、彼らが期待されたほどの活躍を見せなかったことには、全日本内での適切な扱いがなかったことが影響している可能性があります。結果的に、この引き抜きが全日本にどれだけのメリットをもたらしたかは定かではありませんが、当時のプロレス界の激動を象徴する出来事であったことは間違いありません。

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