長州力とブルーザー・ブロディの対立:1985年の一戦とその背景

プロレス

1985年、長州力が全日本プロレスに参戦し、ブルーザー・ブロディとの激しい試合が繰り広げられました。試合の中で、ブロディが長州を一方的に痛めつける場面があり、これはファンの間でも大きな話題となりました。この対立の背後には、プロレス業界内での立場や考え方の違いがあったとされています。

ブロディと長州力の対立の背景

ブルーザー・ブロディは、強い存在感と力強いスタイルで知られ、プロレスの世界ではその影響力を誇っていました。しかし、長州力が全日本に参戦したことにより、ブロディは自身がトップに立つべきだという強い信念を持っていたと言われています。特に「小柄な長州力がトップを取るのが気に入らない」とするブロディの姿勢が、二人の対立の火種となりました。

ブロディの「トップを取るべきだ」という考え

「俺をトップで使うことが客を呼ぶことになる」というのがブロディの言い分であり、プロレスにおけるトップスターとしての自分の立場を絶対視していました。しかし、プロレスは一人の力で成り立つものではなく、長州力の登場によって新たな可能性が広がったことは間違いありません。そのため、ブロディの自己中心的な考えは、業界内でも賛否が分かれることになりました。

馬場の対応と新日本への放出

馬場さんは、ブルーザー・ブロディのわがままな行動に対して、次第に扱いに困っていったと言われています。特に長州力の人気が急上昇する中で、ブロディの態度が試合の魅力を減少させる可能性があると判断した馬場は、ブロディを新日本に放出する決断を下しました。これにより、長州力を中心にした新しい時代のプロレスが開かれることとなり、馬場としては「せっかくの長州力の人気を落とすわけにはいかない」と思ったのではないでしょうか。

ファンの反応とその後の関係

長州力とブロディの対立は、ファンにとっても衝撃的でしたが、その後も二人の関係は注目の的でした。長州力は新日本プロレスでの成功を収め、後にプロレス業界の顔となります。一方で、ブロディは一時期不安定な状態に陥り、最終的には新日本に移籍することとなりました。

まとめ

1985年の長州力とブルーザー・ブロディの対立は、プロレス業界における力のバランスやトップスターの位置づけがどうあるべきかという問題を浮き彫りにしました。ブロディの「トップを取るべきだ」という意識と長州力の台頭が交差したこの出来事は、プロレスの歴史において重要な転換点となったのです。

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