1970年代のアメリカンプロレスには多くの団体が存在し、それぞれの団体には特色あるホーム会場がありました。この記事では、いくつかの有名な団体のメイン会場について紹介し、その特徴を解説します。
WWWFのホーム会場 – マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)
WWWF(World Wide Wrestling Federation)は、そのホーム会場としてニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)を使用していました。MSGはプロレスの聖地ともいえる場所で、多くの伝説的な試合が行われました。
NWAの総本山 – キール・オーデトリアム
NWA(National Wrestling Alliance)は、その活動の拠点としてキール・オーデトリアムを使用していました。この会場は、ミズーリ州セントルイスに位置しており、NWAの試合はファンから高い評価を受けていました。
AWAのメイン会場
バーン・ガニア率いるAWA(American Wrestling Association)は、主にミネアポリスの「メトロ・ドーム」でイベントを開催していました。この会場は、AWAの旗艦イベントが行われる場所として非常に重要な役割を果たしました。
ジム・クロケットのミッドアトランティック地区
ジム・クロケットが運営するミッドアトランティック地区のメイン会場は、ノースカロライナ州シャーロットにある「コンコード・アリーナ」でした。この会場では、クロケット・プロモーションの大規模なイベントが開催され、特に地元ファンにとっては非常に重要な場所でした。
その他の団体のメイン会場
また、エリック・ビショフの「エリック王国」ではダラスのスポータトリアムが使用され、ロイ・シャイアのサンフランシスコではカウパレスが、マイク・ラベールのロサンゼルスではオリンピック・オーデトリアムが使用されていました。
まとめ
1970年代のアメリカンプロレスは、各団体が異なる会場を拠点として活動していました。それぞれの会場は、その団体の特色を反映した重要な場所であり、ファンにとっては思い出深い場所でもあります。


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