プロレス黄金期の1980年代初頭、スタン・ハンセンとハーリー・レイスという二人のレジェンドが同時代に活躍していました。もしこの両雄が1982年にリング上で激突していたら、どのような展開になっていたのでしょうか?この記事では、当時の二人のコンディションやスタイル、時代背景を踏まえてその可能性を分析していきます。
1982年当時のスタン・ハンセンの勢い
1982年のスタン・ハンセンは、日本プロレス界でも圧倒的な存在感を放っていました。全日本プロレスに参戦していた彼は、“ラリアットの帝王”として知られ、ブルーザー・ブロディとのタッグやジャンボ鶴田、天龍源一郎らとの熱戦で観客を沸かせていました。
そのファイトスタイルは、ラフかつパワフル。リング外でも暴れまわる“狂乱のテキサス・ブロンコ”として、観客の恐怖と熱狂を同時に掴んでいました。全盛期に差しかかったハンセンの勢いは止まることを知らず、誰と戦っても試合を自分のペースに持ち込む力がありました。
ハーリー・レイスの円熟期の強さ
一方、ハーリー・レイスは1982年時点でNWA世界ヘビー級王者としての実績を誇り、世界的にも高い評価を受けていました。技の引き出しが非常に多く、クラシカルなグラップリング技術と強靭なタフネスを兼ね備えた“職人タイプ”のレスラーです。
その戦い方は、相手のスタイルを研究し、確実に弱点を突いていく冷静な戦略型。ハンセンのようなパワーファイターに対しても、巧みな関節技やレスリング技術で対抗できる柔軟性を持っていました。
スタイルのぶつかり合い:荒々しさ対知略
この二人の対決が実現していた場合、まさに“荒々しさ”と“知略”の戦いになっていたでしょう。ハンセンは序盤からラリアットやボディスラムでレイスを圧倒し、パワーでねじ伏せる展開を狙ったはずです。
対するレイスは、ハンセンの突進を巧みにかわしながら、首や腕を狙う関節技でペースを落とす戦法に出たでしょう。中盤以降はスタミナ勝負となり、両者の持ち味が最大限に発揮される熱戦が予想されます。
試合展開の予想と勝敗の行方
もし1982年の全日本プロレスまたはNWAのリングでこのカードが実現していたなら、試合は長時間に及ぶ激戦となっていたはずです。序盤はハンセンのラフプレーで試合が荒れ、観客が大熱狂する中、レイスが冷静に反撃する展開が想定されます。
勝敗の行方としては、ハンセンが勢いで押し切る可能性もありますが、技術的な完成度と試合運びの巧みさではレイスに一日の長がありました。引き分け、または時間切れでの決着になる可能性も高かったと考えられます。
1980年代のプロレスにおける意義
1982年は、アントニオ猪木、ジャイアント馬場らが日本プロレス界を牽引していた時代です。その中で、ハンセンとレイスのような海外トップレスラー同士の対決は、ファンにとって夢のようなカードでした。
この試合が実現していれば、日本国内のみならず世界中のプロレスファンの注目を集め、NWAと全日本の歴史を語る上でも伝説的な一戦となっていたでしょう。
まとめ
1982年にスタン・ハンセン対ハーリー・レイスが実現していたとしたら、それはまさに“力と技の頂上決戦”だったと言えます。ハンセンの爆発的な攻撃力とレイスの緻密な戦術が交錯する中、リング上は混沌とした熱狂に包まれたことでしょう。どちらが勝ってもおかしくない、歴史に残る名勝負になっていたに違いありません。


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