1990年の全日本プロレス大転換期:SWS転出とベテラン起用の背景を徹底解説

プロレス

1990年前後の全日本プロレスは、天龍源一郎をはじめ複数選手が新団体「SWS(スーパー・ワールド・スポーツ)」へ転出し、世代交代の波が押し寄せた時期でした。この出来事は団体内の人材構造や試合構成にも大きく影響したため、当時の状況を正しく理解することはプロレス史を紐解く上でも重要です。

SWS設立と全日本からの選手流出の背景

1990年4月、天龍源一郎がAll Japan Pro Wrestling(全日本プロレス)を退団し、自らをエースとするプロレス団体「スーパー・ワールド・スポーツ(SWS)」を旗揚げしました。これは日本のプロレス界に衝撃を与える出来事でした。[参照]

SWSは当時の大手スポンサー「メガネスーパー」の支援を受け、多額の資金を元に複数選手を引き抜きました。その結果、天龍、ザ・グレート・カブキ、サムソン冬木、谷津嘉章、折原昌夫、北原辰巳などが全日本から離れ、選手層に大きな穴が開いたのです。[参照]

当時の全日本プロレスの状況と世代交代

一時、ベテランが多く残った全日本にとって主要選手の流出は大きな痛手でした。しかし同時に、ミツハル・ミサワ、トシアキ・カワダ、ケンタ・コバシら若手の台頭が始まっており、団体は新世代へのシフトを進めていました。

実際、ミサワを中心とした「スーパー・ジェネレーション軍」や鶴田一派の抗争がメインストーリーになり、旧来のスターに頼らない興行展開が進行していました。これはベテラン離脱による戦力不足だけでなく、時代の変化を象徴する動きでもありました。

マイティ井上や寺西勇が重用されなかった理由

当時、40代前半のマイティ井上や寺西勇は確かな功績と実力を持つベテランでしたが、メインイベントや最高峰タイトル戦線から外れることが多くありました。これはプロレス団体の戦略として、より将来性のある若手や新世代ヒーロー像を優先する意図があったと考えられています。

プロレスでは、単に年齢や実力だけでなく観客動員力、物語性、将来の看板候補などの要素が選手起用に影響します。若手スター候補のミサワ、カワダ、コバシらが台頭する中、世代交代の流れがより重視されていたのです。

具体例:鶴田世代との関係とカード構築

鶴田一郎やジャンボ鶴田世代(鶴田、田上、井上、渕)は依然として大物格でしたが、SWS転出後のAJPWでは「次世代対現役」という構図が積極的に作られました。これにより、ミサワら若い選手へナチュラルにフォーカスが移行しました。

また、鶴田世代の機能としてはタッグ戦線や中堅戦に活用され、主役層のストーリーに絡ませる形で試合が構成されていきました。そのため、井上や寺西のようなベテランは主役戦線から一歩引いた位置になる傾向がありました。

「寺西対渕」の世界ジュニア戦が実現しなかった背景

寺西勇と渕正信の対戦カードが世界ジュニア級戦の主軸にならなかったのは、その年代のジュニア戦線が既に他のタレントやストーリーに占有されていたことによります。90年代初頭の全日本では、タッグ戦線やヘビー級抗争がプッシュされ、ジュニア戦線の存在感が相対的に低かった面もあります。

また、当時のジュニア戦線は他団体との交流戦や海外勢を絡めたストーリーが多く、純粋な国内ジュニア対決に焦点を絞る構造になっていなかったとも言われています。

まとめ:転出・起用・世代交代の構図

1990年のSWS転出は、全日本プロレス全体に大きな再編をもたらしました。その過程で、団体は新世代の育成を優先し、ベテラン層の一部が主役戦線から外れる構造が生まれました。これは決して個人的な評価だけでなく、プロレス興行全体の戦略として理解することができます。

その結果として、鶴田世代や当時のベテランが主要カードから外れる一方、新しいスターの時代が本格的に幕を開けたのです。この動きは90年代の全日本プロレス史における重要な転換点として語り継がれています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました