ジャンボ鶴田は1970〜90年代にかけて日本プロレス界で絶大な存在感を誇ったレスラーです。全日本プロレスの象徴的存在として数々の名勝負を繰り広げ、現在でも「最強」と称されることがあります。しかし、本当に彼は格闘技界における“最強の格闘家”と呼べる存在だったのでしょうか?この記事では、ジャンボ鶴田の経歴、実績、格闘能力、そして“最強”という評価について検証していきます。
オリンピック出場のエリートアスリート
ジャンボ鶴田は、プロレスラーになる前からすでにアスリートとして名を馳せていました。中央大学在学中にはレスリング競技で頭角を現し、1972年のミュンヘンオリンピックにグレコローマンスタイルで出場。アマチュアレスリングの経験は、後のプロレスキャリアにおいても大きな武器となりました。
このように基礎のしっかりしたバックボーンを持つプロレスラーは当時としても希少で、鶴田は単なる“ショーマン”ではなく、実力派のレスラーと認識されていました。
プロレス界での圧倒的な実績
全日本プロレスに入団後、鶴田はジャイアント馬場の後継者として期待され、実際に三冠ヘビー級王座をはじめとする数々のタイトルを獲得します。スタン・ハンセン、ジャンボ・テリー・ゴディ、天龍源一郎など、錚々たる強豪レスラーとしのぎを削り、数多くの名勝負を演じました。
特に1980年代後半〜1990年代初頭の「鶴田革命」と呼ばれるスタイルの変化は、全日本プロレスの象徴的な時代を形成。スピーディでハードヒットなファイトスタイルに移行し、若手を圧倒する存在感を示しました。
ジャンボ鶴田の“最強説”を裏付ける要素
ジャンボ鶴田が「最強の格闘家」と呼ばれる根拠は、主に以下の3点に集約されます。
- ① アマチュアレスリングでの実績:オリンピック出場経験は、そのフィジカルとスキルが本物であることを証明しています。
- ② 圧倒的なフィジカル:身長196cm・体重130kgを超える恵まれた体格に加え、スタミナと打たれ強さを兼ね備えていました。
- ③ 外国人レスラーとの対戦成績:当時の“リアルファイト型”外国人選手とも互角以上に渡り合っており、信頼度の高い評価を獲得。
総合格闘技的な意味での“最強”か?
「最強の格闘家」という言葉には、総合格闘技(MMA)的なニュアンスが含まれることがあります。その観点では、鶴田がMMAルールでどこまで戦えるかは未知数です。彼が活躍したのはあくまでプロレスという競技であり、パンチや蹴りを用いる実戦型の格闘技とは一線を画しています。
ただし、全日本プロレスが“ストロングスタイル”を追求していた背景から、ジャンボ鶴田は実戦的な動きに対応できるポテンシャルを持っていたと見る向きもあります。
ジャンボ鶴田の影響力と後世への評価
ジャンボ鶴田は早世したこともあり、その存在は神格化される傾向があります。後進の三沢光晴、川田利明、田上明などに多大な影響を与え、日本プロレス界の技術的進化の土台を築いた人物であることに異論はありません。
彼の“最強”という評価は、戦績や実力だけでなく、人柄、カリスマ性、そしてプロレス文化全体への貢献も含めた総合的な評価といえるでしょう。
まとめ:ジャンボ鶴田は“最強のプロレスラー”だった
ジャンボ鶴田を“最強の格闘家”と呼ぶことは、厳密には定義次第といえます。MMAのようなルールで他競技の格闘家と比較するならば断言はできませんが、日本のプロレス史において、技術・実績・影響力を兼ね備えた“最強のプロレスラーのひとり”であることは確かです。
プロレスという枠組みの中で見れば、ジャンボ鶴田はまさにレジェンドであり、最強と称されるにふさわしい人物といえるでしょう。
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