1993年、Jリーグが開幕したその年に、ブラジルから来日したゴールキーパーが日本サッカー界に衝撃を与えました。彼の名はシジマール・アントニオ・マルチンス。身長183cmでありながら、両腕を広げた長さが193cmにも達し、その姿から「クモ男」と呼ばれ親しまれました。
シジマールの来日と清水エスパルスへの加入
シジマールは、清水エスパルスのGKコーチとして来日する予定でしたが、現役復帰を果たし、1993年7月31日のサンフレッチェ広島戦でJリーグデビューを果たしました。加入当初からその実力を発揮し、チームの守護神として活躍しました。
731分間連続無失点記録の樹立
シジマールは、1993年8月から9月にかけて、J1リーグで731分間の連続無失点記録を樹立しました。この記録は、長い間破られることのなかったJ1の記録となり、彼の名を不動のものとしました。
引退後の指導者としての道
現役引退後、シジマールは指導者としての道を歩み始めました。ブラジルの古巣であるECキンゼ・デ・ノヴェンブロの監督を務めた後、日本に戻り、静岡県の国際開洋第一高等学校やヴォラーレFC浜松、大阪学院大学サッカー部などで指導に当たりました。
Jリーグクラブでの指導と現役復帰
その後、Jリーグの柏レイソルやヴィッセル神戸でGKコーチを務め、2017年にはJ3リーグの藤枝MYFCでGKコーチに就任しました。2017年4月16日のグルージャ盛岡戦では、54歳という年齢ながらベンチ入りを果たし、話題となりました。
まとめ
シジマールは、Jリーグ黎明期にその名を馳せた伝説のゴールキーパーであり、引退後も日本サッカー界に多大な影響を与え続けています。彼の活躍と足跡は、今なお多くのサッカーファンの記憶に残り、語り継がれています。
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