1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本のプロレス界は激しい競争と変動の時期を迎えました。特に注目すべきは、全日本プロレスがSWS(Super World of Sports)を作った際の対応と、新日本プロレスがUWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)に対して行った戦略です。この記事では、両者の戦略の違いとその結果として生まれたプロレス界の盛り上がりについて考察します。
全日本プロレスとSWS
全日本プロレスは、SWSの設立に対して強い敵対心を抱いていたと言われています。SWSは、新たなプロレス団体として登場し、全日本の人気レスラーが多く所属しました。そのため、全日本プロレスはSWSに対抗するために様々な方法で批判を行い、その存在を潰そうとしたと言われています。
特に注目すべきは、週刊プロレスのターザン山本が金銭を受け取ってSWSに批判的な記事を書いたことです。このような手段が取られた背景には、当時のメディアやプロレス界の競争の激しさがありました。しかし、この方法はファンにとっては逆効果となり、SWSの人気が高まる一因ともなりました。
新日本プロレスとUWF
一方、新日本プロレスは、UWFに対してより建設的なアプローチを取ることを選びました。UWFは、当初新日本プロレスから分裂した団体であり、リアルなレスリングスタイルを追求していました。新日本は、UWFの選手を引き抜かれたにも関わらず、対抗戦を行い、名勝負を生み出しました。
この対抗戦は、プロレスファンにとって非常に魅力的な試合を提供し、結果的に新日本プロレスの興行にプラスの効果をもたらしました。新日本は、UWFの人気を取り入れつつ、プロレス全体を盛り上げることに成功しました。
馬場と猪木の戦略の違い
全日本プロレスの馬場と新日本プロレスの猪木は、プロレス界を牽引する存在として非常に強い影響力を持っていましたが、彼らの経営戦略は大きく異なっていました。馬場は、SWSのような競争相手を敵視し、直接的に潰しにかかる手法を取ったのに対し、猪木はUWFとの対抗戦を通じて、全体的な盛り上がりを狙いました。
この戦略の違いは、プロレス界全体の成長に対するアプローチの違いを反映しています。猪木の方が、競争相手をうまく利用して興行を盛り上げるという長期的な視点を持っていたと言えるでしょう。
まとめ
全日本プロレスと新日本プロレスの経営戦略の違いは、プロレス界における競争のあり方を大きく変えました。全日本の馬場は、SWSを潰すために攻撃的な手法を取ったのに対し、新日本の猪木は対抗戦を行い、プロレス全体を盛り上げました。どちらのアプローチが正しかったのかは一概には言えませんが、最終的に猪木の戦略が日本のプロレス界をさらに広げ、成長させたと言えるかもしれません。
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