邦和スケートリンクは昔「夏は流れるプール・冬はスケート場」だった?りくりゅうプロポーズの場所と歴史を調査

フィギュアスケート

フィギュアスケートの三浦璃来さん・木原龍一さんによる「りくりゅう」ペアが婚約を発表し、プロポーズ写真の舞台として注目されたのが、名古屋市港区にある旧・邦和スポーツランド、現在の「邦和みなと スポーツ&カルチャー」のアイススケートリンクです。報道によると、2人が2019年に初めて一緒に滑った思い出のリンクでプロポーズ写真が撮影されました。[参照]

このリンクについて、古くから名古屋市港区周辺を知る人の間では「昔は冬になるとスケートリンク、夏になると流れるプールだった」という記憶があります。現在の公式サイトだけを見るとその歴史がほとんど分からないため、「本当に流れるプールだったのか」「現在の氷の下にプールが残っているのか」と疑問に思う人もいるでしょう。

調査すると、少なくとも複数の利用経験者が、かつて邦和スポーツランドでは夏季に流水プール、冬季にスケートリンクとして利用していたと証言しています。一方、現在確認できる公式・公的資料だけでは、当時の流水プールの構造や、現在もリンク床下にその設備が残されているのかまでは確認できません。ここでは確認できた事実と、利用者の記憶として残っている情報を分けて整理します。

りくりゅうがプロポーズ写真を撮影したのは邦和のスケートリンク

三浦璃来さんと木原龍一さんは2026年8月23日に婚約を発表しました。その際に公開された写真では、木原さんが氷上で膝をつき、三浦さんへ指輪を渡す様子が写っています。

報道によると、撮影場所は名古屋市港区の「邦和みなと スポーツ&カルチャー」。旧名称は邦和スポーツランドです。2人にとってここは単なる練習リンクではなく、2019年にペア結成につながる最初の滑走を行った場所でもあります。[参照]

木原さん自身もこのリンクに深い縁があり、競技生活の重要な時期を過ごした場所です。2019年には邦和スポーツランドでアルバイトをしていたことも報じられています。[参照]

現在の邦和スケートリンクは通年営業

現在の邦和みなと スポーツ&カルチャーのアイスリンクは、夏でも氷が張られている通年型スケートリンクです。

日本スケート連盟のリンク一覧では、邦和みなと スポーツ&カルチャーは名古屋市港区港栄1丁目8番23号にあり、屋内60m×30m、開設年月は昭和56年12月、つまり1981年12月、営業期間は「通年」と掲載されています。[参照:日本スケート連盟]

現在の施設案内でも夏季のリンク内気温が約18℃と案内されており、真夏でもスケートを楽しめます。つまり少なくとも現在は、夏になると氷を外してプールへ切り替える運営ではありません。

「昔は夏に流れるプールだった」という記憶は実際に残っている

興味深いのが、インターネット上に残っている昔の利用者の証言です。

2013年にYahoo!知恵袋へ投稿された質問では、名古屋市港区の邦和スポーツランドについて、投稿者が幼少期に「夏期は流水プール、冬期はスケートリンクだった」と明確に記憶していることが書かれています。当時の回答では、現在はスケートリンクが通年営業になっていると説明されています。[参照]

さらにYahoo!マップの邦和スケートリンクの口コミにも、2022年の利用者から「昔は冬はスケートリンクで夏は流れるプールだったが、今は一年中スケートリンク」という趣旨の投稿があります。[参照]

これらは公式な歴史資料ではなく個人の体験談ですが、年代も投稿者も異なる複数の人が同じ記憶を持っていることから、邦和スポーツランドで季節によって流水プールとスケートリンクを切り替えていた時期があった可能性はかなり高いと考えられます。

「40年前までは夏はプール」という記憶とも年代的に矛盾しない

日本スケート連盟によると、邦和のスケートリンクの開設は1981年12月です。2026年から数えると約45年前になります。

そのため「40年ほど前には夏に流れるプールとして遊んだ」という記憶は、年代的には大きく矛盾しません。1980年代前半から中盤に邦和へ通っていた人が、夏の流水プールと冬のアイススケートの両方を経験していた可能性があります。

ただし、現在ウェブ上で確認できる公的資料からは、何年まで夏季プールへの転換を行っていたのかという正確な終了年までは確認できません。ここを推測だけで「198○年まで」と断定するのは避けた方がよいでしょう。

本当に「スケートリンクの下」に流れるプールがあるのか

ここは特に注意して整理したい部分です。「昔、同じ場所が夏にプールだった」ことと、「現在も完成した流れるプールが氷の真下にそのまま残っている」ことは同じ意味ではありません。

季節型のスケート施設では、氷を撤去したスペースを夏季に別用途へ使う例が歴史的にありました。そのため、邦和についても同一エリアを季節によって使い分けていた可能性があります。

しかし、今回確認できた日本スケート連盟、施設公式情報、愛知県資料などには、現在のリンク床下に旧流水プールの水路やプール槽が保存されているという記述はありません。したがって、「今もリンクのすぐ下に流れるプールが隠れている」とまでは確認できないというのが現時点での正確な答えです。

現在の温水プールはスケートリンクとは別に存在する

さらに話を分かりにくくしているのが、邦和には現在もプール設備そのものが存在していることです。

現在の邦和みなと スポーツ&カルチャーにはスイミング施設があり、25mの温水プールなどが利用されています。公式のお知らせでも「温水プール」と「スケートリンク」がそれぞれ同時に営業していることが確認できます。[参照:邦和公式]

2018年の施設公式記事でも、スケートリンクでイベントを行う一方、温水プールでは別のイベントが同日に開催されています。つまり現在の温水プールは、通年アイスリンクを夏季だけプールへ変えたものではなく、スケート施設とは別のプール設備として運営されています。[参照:邦和公式]

愛知県資料には「スケートの排熱をプールへ利用する仕組み」も登場する

邦和のスケートとプールの関係で非常に興味深い資料もあります。愛知県が公開している温水プール・アイススケート場に関する資料では、邦和スポーツランドについて、スケート場の製氷とプールの昇温をガスエンジンによる熱交換システムで一体的に運用していることが紹介されています。[参照:愛知県]

これは、スケートリンクを冷やす際に発生する熱を温水プール側で有効利用するような考え方です。現在の邦和でスケートとプールが同時に存在する理由を理解するうえでも興味深い情報です。

ただし、この資料も旧流水プールの構造や、現在のリンク床下にプール槽が存在するかどうかを示したものではありません。

なぜ昔の流水プール情報がほとんど検索で出てこないのか

1980年代以前・前半の地域施設については、現在のようにウェブサイトやSNSへ営業情報が残されていません。当時の案内は新聞広告、チラシ、電話帳、地域情報誌など紙媒体が中心でした。

そのため施設自体が現在も営業していても、過去の季節営業について公式サイト検索ではほとんど情報が見つからないことがあります。特に「流水プール」という設備が廃止され、通年リンクへ変更されてから数十年経過していれば、現在のサイトに説明がないのは珍しくありません。

今回も、公式の現在情報より先に、2013年の利用者や2022年の口コミから同じ記憶が確認できました。地域史では、このような複数の独立した証言が重要な手掛かりになります。

旧流水プールの写真や正確な年代を探す方法

当時の写真や「何年までプールだったのか」をさらに調べたい場合は、通常のGoogle検索だけでは限界があります。

有力なのは、名古屋市図書館などが所蔵する古い住宅地図、新聞縮刷版、電話帳、地域広報誌です。「邦和スポーツランド」「邦和流水プール」「邦和プール」「港区 港栄 プール」といった名称で1980年代の新聞広告を調べると、夏季営業の案内が見つかる可能性があります。

また現在の運営施設へ直接問い合わせ、過去の社史・施設写真が残っているか聞く方法もあります。長く勤めているスタッフやOB・OGであれば、通年リンク化した年代を把握している可能性があります。

東邦ガス・東邦不動産関係の社史も手掛かりになる

邦和スポーツランドは東邦ガスグループに関係する施設として長く運営されてきました。現在の運営主体も東邦不動産です。

そのため一般向けウェブサイトだけではなく、東邦ガス・東邦不動産の社史、周年記念誌、施設沿革などに、開業当時の写真や「夏季はプール、冬季はスケート」といった記載が残されている可能性があります。

日本スケート連盟が1981年12月を開設年月としているため、まず1981~1990年ごろの資料を重点的に探すと効率的でしょう。

昔の邦和を知る人の記憶はかなり貴重

現在の邦和を知る若い世代にとっては、「この国際規格のアイスリンクが夏に流れるプールだった」と聞いても想像しにくいかもしれません。

しかしオンライン上では実際に、幼少期に夏の流水プール・冬のスケート場として利用していたという人が複数確認できます。そのため、単なる勘違いとして片付けるべき情報ではありません。

当時遊んでいた人が写真、入場券、パンフレットなどを保存していれば、施設史を確認する非常に重要な資料になります。

確認できる情報と確認できない情報を整理

内容 現時点の確認状況
りくりゅうが邦和でプロポーズ写真を撮影 報道で確認できる
2人が2019年に初めて一緒に滑った場所 報道で確認できる
現在のリンクは通年営業 日本スケート連盟・施設情報で確認できる
リンク開設は1981年12月 日本スケート連盟で確認できる
昔は夏に流水プール、冬にスケートだった 複数の利用経験者の証言が確認できる
何年まで流水プールだったか 公開資料では特定できない
現在もリンク床下に旧プール設備が残っているか 確認できる資料なし
現在も温水プールが存在する 公式情報で確認できる

特に重要なのは、「昔プールだった」という記憶には裏付けとなる複数の証言がある一方、「現在のリンク下にそのまま流水プールが残っている」という部分は別途確認が必要だという点です。

まとめ|「夏は流れるプール、冬はスケート」の記憶は複数確認できる

名古屋市港区の邦和スポーツランド、現在の邦和みなと スポーツ&カルチャーは、2026年8月に婚約を発表した「りくりゅう」こと三浦璃来さん・木原龍一さんが、思い出の場所としてプロポーズ写真を撮影したスケートリンクです。[参照]

現在は60m×30mの屋内リンクとして通年営業しており、日本スケート連盟では開設年月を1981年12月としています。[参照:日本スケート連盟]

一方で過去について調べると、2013年のYahoo!知恵袋には「幼少期は夏期が流水プール、冬期がスケートリンクだった」という名古屋出身者の記憶が残っています。2022年のYahoo!マップ口コミにも、別の利用者からほぼ同じ内容の証言があります。[参照][参照]

したがって、「昔の邦和では、夏に流れるプール、冬にスケートリンクとして使っていた」という記憶はかなり信憑性のある地域史情報と考えられます。少なくとも同じ記憶を持つ人は一人ではありません。

ただし「現在のアイスリンクの氷の真下に、当時の流れるプールが完成した状態で残っている」ということまでは公開資料で確認できません。また、いつ季節型営業を終了して通年リンクへ変更したのかも、現時点で確認できるオンライン資料からは特定できません。

より詳しく調べるなら、1980年代の名古屋の新聞広告、住宅地図、地域誌、東邦ガスグループの社史などを探す価値があります。昔の邦和で実際に流水プールを利用した人が当時の写真やパンフレットを持っていれば、それが最も貴重な手掛かりになるでしょう。

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