1992年に剛竜馬によって旗揚げされたオリエンタルプロレスは、当時のインディープロレス界の中でも独自色の強い団体でした。出前プロレスやビデオ販売など従来のプロレス団体とは異なる発想を持ち、未知の外国人選手を招へいするなど話題性もありました。
一方で、団体運営の難しさや内部事情によって中心人物が離脱し、その後は高杉正彦が団体を支える形となりました。もしSWSのように大きな資金的支援を受けることができていた場合、オリエンタルプロレスはインディー界の主流へ成長できたのでしょうか。今回は当時の状況や団体運営の条件から、その可能性を考えていきます。
オリエンタルプロレスが持っていた独自の魅力
オリエンタルプロレスの特徴は、既存のプロレス団体とは違うアイデアを積極的に取り入れていた点です。特に出前プロレスのような企画は、リングを用意して観客を集めるだけではなく、プロレスを身近な場所へ届けるという発想でした。
また、ジェシー・バーやザ・ブルースブラザーズなど、当時の日本ではまだ知名度が高くなかった外国人選手を起用したことも注目されました。未知の強豪を発掘するという方向性は、インディー団体ならではの魅力でした。
現在ではSNSや動画配信によって個性的なレスラーや団体が注目される時代ですが、1990年代初頭にこうした発想を実践していたことは、時代を先取りしていた部分もあります。
SWSとオリエンタルプロレスの大きな違い
大きなスポンサーによる支援という点では、SWSは非常に特殊な存在でした。メガネスーパーという企業の資金力によって、トップクラスの選手獲得や大規模興行を可能にした団体でした。
しかし、資金があれば必ず成功するわけではありません。SWSの場合も、豊富な資金を持ちながら団体内の方向性や選手間の関係など、多くの課題を抱えていました。
オリエンタルプロレスが仮に大きなスポンサーを得ていた場合、資金面の問題は解決できた可能性があります。しかし、それだけで全日本プロレスや新日本プロレスに並ぶ存在になれたかというと、別の問題も存在していました。
高杉正彦が団体を支えた意味
剛竜馬離脱後、中心となって団体を守った高杉正彦の存在は大きなものでした。派手なスター性よりも、人柄や責任感によって団体を継続させたタイプのレスラーでした。
インディープロレスでは、資金力だけではなく、団体をまとめるリーダーや現場を支える人材が非常に重要です。大きなスポンサーがいても、選手やスタッフが同じ方向を向かなければ長期的な成功は難しくなります。
例えば小規模な団体でも、中心人物の情熱や独自の世界観によって長く支持されるケースがあります。オリエンタルプロレスの場合も、高杉正彦がいたからこそ完全に消滅せず活動を続けられた面がありました。
もし強力なスポンサーが付いていた場合の可能性
もしオリエンタルプロレスにSWS級のスポンサーが付いていたなら、まず考えられる変化は興行規模の拡大です。選手の待遇改善、会場確保、テレビ露出などの面では大きなプラスになった可能性があります。
また、個性的な外国人選手の招聘や独自企画をさらに発展させることもできたかもしれません。インディー団体として全国的な知名度を得る可能性は十分にありました。
ただし、1990年代前半は新日本プロレスや全日本プロレスが強いブランド力を持ち、さらにUWF系団体も注目されていた時代です。その中で主流になるには、資金だけではなく、明確なスター選手や団体独自の物語作りが必要でした。
オリエンタルプロレスが残したもの
オリエンタルプロレスは、大きな成功を収めた団体ではありませんでしたが、インディープロレスの可能性を示した存在でした。
既存の枠にとらわれない企画、新しい選手を発掘する姿勢、そして小規模でもプロレスを届けようとする考え方は、後の多くのインディー団体にも通じるものがあります。
もし強力な後ろ盾があれば、より大きな舞台で活躍した可能性はあります。しかし、プロレス団体の成功には資金、人材、時代の流れ、ファンを引きつける物語など多くの要素が必要であり、オリエンタルプロレスの歴史はその難しさを象徴していると言えます。
まとめ|資金力だけでは変えられないプロレス団体成功の条件
オリエンタルプロレスがSWSのような強力なスポンサーを得ていた場合、規模拡大や知名度向上の可能性は高まったと考えられます。
しかし、プロレス団体が主流になるためには、資金だけではなく、スター選手、運営能力、団体の方向性、時代との相性が重要です。
短期間で終わった団体であっても、独自の挑戦や関わったレスラーたちの努力は、1990年代インディープロレス史の中で価値あるものとして語り継がれています。


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