1980年代の新潟県十日町市周辺で、「夜に十日町を出発して長野県飯山市まで歩く大きなイベントがあった」と記憶している人がいます。国道沿いで夜中から朝方にかけて参加者を見たり、沿道から応援したりした記憶が残っているケースもあるようです。
当時の十日町市の広報資料を確認すると、その記憶にかなり一致するイベントが実際に開催されていました。名称は「十日町~飯山 歩けあるけアルケ大会」で、十日町市から長野県飯山市まで約60kmを夜通し歩く長距離ウォーキング大会です。
1985年の十日町市広報には「第11回 十日町~飯山 歩けあるけアルケ大会」、1987年には第13回、1988年には第14回として掲載されており、少なくとも1980年代を通じて継続開催されていたことが公的資料から確認できます。[参照:十日町市 昭和60年広報]
- 1980年代に「十日町~飯山 歩けあるけアルケ大会」は実在していた
- メインコースは十日町から飯山まで約60km
- 夜に十日町を出発し、朝方に国道沿いを通過していた
- 十日町と飯山は信濃川・千曲川沿いにつながっている
- 「走る大会」ではなく基本的には歩くイベントだった
- 1985年には参加定員1000人という大規模イベントだった
- 大会名の表記には多少の揺れがある
- 第1回は1970年代半ばだった可能性が高い
- 1988年にはコース編成が変更されている
- 参加費も時代とともに変化していた
- 「体力と根性で挑戦」と紹介されていた
- 沿道での応援が記憶に残りやすかった理由
- 現在の「妻有街道歩け歩け大会」とは別のイベント
- 現在は同じ大会を確認できない
- 当時の記憶と公式資料を照らし合わせると非常によく一致する
- まとめ:1980年代に十日町から飯山まで歩く「歩けあるけアルケ大会」は実際に開催されていた
1980年代に「十日町~飯山 歩けあるけアルケ大会」は実在していた
十日町市が公開している旧市町村広報の1982年6月号には、「第8回 十日町~飯山 歩けあるけアルケの大会」という名称が掲載されています。[参照:十日町市 昭和57年広報]
さらに1984年の広報では「第10回 十日町~飯山歩けあるけアルケの会」、1985年には第11回、1986年には第12回、1987年には第13回、1988年には第14回と、ほぼ毎年開催されていたことが確認できます。
したがって、1980年代に十日町から飯山方面へ大勢の人が歩いていたという記憶は、かなり高い確率でこの大会に関するものと考えられます。
メインコースは十日町から飯山まで約60km
1985年の第11回大会の募集要項を見ると、最長コースは十日町市総合体育館から飯山市立第二中学校までの60kmでした。
現在の感覚でも60kmを徒歩で移動するのは相当な長距離です。一般的な徒歩速度を時速4~5kmとすると、休憩を含めて十数時間を要する規模になります。
このほか、同大会には途中区間だけを歩くコースも設定されていました。1985年には西大滝ダムから飯山市立第二中学校までの20kmコース、十日町市総合体育館から栄村役場付近までの30kmコースが掲載されています。
夜に十日町を出発し、朝方に国道沿いを通過していた
「朝方に家の前の国道で応援した」という記憶と特によく一致するのが、大会の開催時間です。
1985年大会の案内では、8月3日土曜日の午後6時に受付、午後8時集合、午後9時に十日町を出発し、翌4日日曜日の正午ごろまで開催する日程になっていました。
1988年の第14回大会も、7月30日の夜から31日の正午までで、午後6時受付、午後8時集合、午後9時出発とされています。[参照:十日町市 昭和63年広報]
つまり参加者は夜通し歩いて飯山を目指していました。コース沿いの地域によっては深夜から早朝に集団が通過するため、沿道の住民が朝方に声援を送った記憶が残っていても非常に自然です。
十日町と飯山は信濃川・千曲川沿いにつながっている
十日町市から飯山市へ向かう地域は、信濃川・千曲川に沿って新潟県南部から長野県北部へ続いています。
現在も国道117号が十日町市、津南町、長野県栄村、野沢温泉村周辺を経て飯山市方面を結ぶ主要道路となっています。そのため当時の長距離歩行イベントについても、この地域を南北に進むルートが設定されていました。
1987年の大会案内では、60kmが十日町市総合体育館から飯山第二中学校、30kmが十日町市総合体育館から県境付近の栄村役場、20kmが西大滝ダムから飯山第二中学校と記録されています。[参照:十日町市 昭和62年広報]
「走る大会」ではなく基本的には歩くイベントだった
昔の記憶では、大勢の参加者が速いペースで進む姿から「走る大会だったのでは」と感じる場合もあります。しかし名称と公式案内を見る限り、基本的にはウォーキングイベントです。
大会名自体が「歩けあるけアルケ」であり、1987年の参加者向け注意事項にも「交通信号・規則をよく守り、整然と歩きましょう」と書かれています。
競技マラソンのようにタイムを競うことが中心ではなく、長距離を歩き切る体力・根性・達成感を楽しむイベントだったと考えられます。
1985年には参加定員1000人という大規模イベントだった
当時の資料を見ると、この大会は小規模な地域ウォーキングではありません。
1985年の第11回大会では参加人員が1000人と設定されています。参加資格は小学生以上で、小学生は保護者同伴とされていました。
1000人規模の参加者が夜間から朝方にかけて長い列になって歩けば、国道沿いの住民にとって非常に印象的な光景だったはずです。数十年経っても「朝方、大勢の人を家の前で応援した」と覚えているのも不思議ではありません。
大会名の表記には多少の揺れがある
当時の広報を見ると、名称は年度や掲載箇所によって若干表記が異なります。
| 年 | 確認できる表記 | 大会回数 |
|---|---|---|
| 1982年 | 十日町~飯山 歩けあるけアルケの大会 | 第8回 |
| 1984年 | 十日町~飯山 歩けあるけアルケの会 | 第10回 |
| 1985年 | 十日町~飯山 歩けあるけアルケ大会 | 第11回 |
| 1986年 | 十日町~飯山 歩けアルケの会 | 第12回 |
| 1987年 | 十日町→飯山 歩けあるけアルケ大会 | 第13回 |
| 1988年 | 十日町→飯山 歩けあるけアルケの大会 | 第14回 |
「歩け歩け大会だった」「アルケ大会だった」など、人によって記憶している名称が少し違う可能性がありますが、基本的には同じ十日町~飯山間のイベントを指しているとみられます。
第1回は1970年代半ばだった可能性が高い
1982年が第8回、1984年が第10回、1985年が第11回と毎年1回ずつ進んでいることから逆算すると、第1回は1975年前後に始まった可能性が高いと考えられます。
ただし、この開始年については今回確認できた広報資料からの逆算になるため、初回の開催資料そのものを確認できない限り断定は避けるべきでしょう。
少なくとも1970年代後半から1980年代にかけて、十日町と飯山を結ぶ恒例行事として定着していたことは、複数年の公的資料から確認できます。
1988年にはコース編成が変更されている
1987年までは60km、30km、20kmという3コースが確認できますが、1988年の第14回大会では案内に「今年からコースにより、日程が分かれました」と記載されています。
1988年の広報に掲載されたコースは、60kmの「総合体育館→飯山市立第二中学校」と、30kmの「総合体育館→長野県境(栄村役場)」です。
このように長年続く中で、コースや日程、参加費などは少しずつ変更されていたようです。
参加費も時代とともに変化していた
1985年の参加費は1200円でした。1987年には1300円、1988年には1500円となっています。
参加申し込みは総合体育館や十日町新聞社などで受け付けられていました。1988年には飯山市内の大会事務局へ申込用紙、参加費、返信用はがきを送る方法も案内されています。
十日町だけで完結する市民イベントではなく、新潟県と長野県をまたいで実施する広域的な催しだったことが分かります。
「体力と根性で挑戦」と紹介されていた
1985年の十日町市広報では、第11回大会の案内に「体力と根性で挑戦」という見出しが付けられています。
60kmを夜通し歩くため、現代の一般的なウォーキングイベントよりかなりハードな内容です。単なる散策ではなく、完歩そのものを一つのチャレンジとして楽しむイベントだったのでしょう。
一方で参加資格は小学生以上で、小学生については保護者同伴という条件でした。幅広い年代が参加できる地域行事として企画されていた点も特徴です。
沿道での応援が記憶に残りやすかった理由
夜間に1000人規模の参加者が十日町から飯山方面へ歩けば、通常の交通とは明らかに異なる光景になります。
特に夜明け前から早朝は周囲が静かな時間帯なので、参加者の足音や会話、スタッフの声なども目立ったはずです。国道沿いの住宅では、家族で外へ出て応援した人もいたと考えられます。
そのため「大会名は忘れたけれど、夏の朝方に国道を大勢の人が通り、応援した」という断片的な記憶だけが残っている場合でも、この大会とかなり整合します。
現在の「妻有街道歩け歩け大会」とは別のイベント
十日町には後年、「妻有街道歩け歩け大会」というウォーキングイベントも存在しました。そのためインターネットで「十日町 歩け歩け大会」と検索すると、こちらが見つかることがあります。
しかし妻有街道歩け歩け大会は、十日町市役所から六箇地区を通って栃窪峠方面へ向かう約18kmのコースであり、飯山市までは行きません。新潟県の2019年の紹介でも「十日町市役所→六箇→栃窪峠」のイベントとして説明されています。[参照:新潟県]
したがって「1980年代」「十日町から飯山」「夜~朝方」という記憶に当てはまるのは、妻有街道歩け歩け大会ではなく「十日町~飯山 歩けあるけアルケ大会」のほうです。
現在は同じ大会を確認できない
今回確認した十日町市の資料では1980年代に毎年のように開催されていたことが分かりますが、現在の十日町市や飯山市の主要イベントとして同名大会は確認できません。
そのため、少なくとも当時と同じ「十日町から飯山まで約60kmを夜通し歩く大会」という形では現在は開催されていないとみられます。
約40年前の地域行事であり、インターネット普及前のイベントでもあるため、現在ウェブ上で個人の体験記や写真を探すのは難しい一方、十日町市が保存・公開している当時の広報が貴重な一次資料になっています。
当時の記憶と公式資料を照らし合わせると非常によく一致する
| 記憶の内容 | 公式資料で確認できる内容 |
|---|---|
| 1980年代だった | 1982~1988年など複数年で開催を確認 |
| 十日町から飯山まで | 60kmコースが十日町市総合体育館~飯山市立第二中学校 |
| 歩け大会のような名称 | 「歩けあるけアルケ大会」 |
| 朝方に見た | 午後9時ごろ出発し翌日正午まで |
| 国道沿いで応援した | 十日町から県境・飯山方面へ進む長距離コース |
| 大勢の人がいた | 1985年は参加定員1000人 |
これだけ条件が一致しているため、記憶しているイベントはこの「歩けあるけアルケ大会」である可能性がかなり高いと考えられます。
まとめ:1980年代に十日町から飯山まで歩く「歩けあるけアルケ大会」は実際に開催されていた
1980年代、新潟県十日町市から長野県飯山市まで歩くイベントは実際に存在していました。正式名称は資料によって若干表記が異なりますが、「十日町~飯山 歩けあるけアルケ大会」と呼ばれていた催しです。
十日町市の公式広報では、1982年に第8回、1984年に第10回、1985年に第11回、1987年に第13回、1988年に第14回の開催を確認できます。[参照:十日町市 昭和57年広報]
メインとなる60kmコースは十日町市総合体育館を出発し、飯山市立第二中学校まで歩くものでした。1985年には午後9時に出発し、翌日正午までという夜通しの日程で、参加定員は1000人でした。[参照:十日町市 昭和60年広報]
そのため「1980年代、十日町から飯山へ向かう大勢の人を朝方に国道沿いで応援した」という記憶は、この大会の光景と非常によく一致します。
数十年前の地域イベントなので現在は情報を見つけにくくなっていますが、当時の十日町市広報という公的な一次資料が残っています。記憶違いではなく、実際に十日町と飯山を結ぶ60km規模の「歩けあるけアルケ大会」が開催されていたことを確認できます。


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