アントニオ猪木とジャイアント馬場という日本プロレス界を代表する2大スターが去った後、旧日本プロレスは大きな転換期を迎えました。黄金時代を築いた中心選手を失ったことで衰退した印象を持たれることもありますが、その時代にも多くのレスラーたちが熱い戦いを繰り広げています。
この記事では、馬場・猪木退団後から日本プロレス崩壊までの期間に行われた名勝負や、その時代ならではの魅力について詳しく紹介します。
馬場と猪木が抜けた後の日本プロレスの状況
日本プロレスは1960年代から1970年代前半にかけて、力道山から続く日本プロレス界の中心的な存在でした。しかし、1972年にアントニオ猪木が退団して新日本プロレスを設立し、さらにジャイアント馬場も全日本プロレスを旗揚げしたことで、大きな戦力流出が起こりました。
エース級の存在を失った日本プロレスは、残った選手たちを中心に団体を維持していくことになります。しかし、テレビ放送や観客動員の面で徐々に苦戦し、最終的には1973年に崩壊することになりました。
短い期間ではありましたが、この時期にも実力派レスラーは多数在籍しており、決して内容が低下しただけの時代ではありませんでした。
坂口征二や大木金太郎が支えた旧日本プロレス後期
馬場・猪木退団後の日本プロレスを支えた中心人物の一人が坂口征二でした。坂口は長身で身体能力に優れたレスラーであり、団体の新しい柱として期待されました。
また、大木金太郎も強烈な頭突きを武器に人気を集め、日本プロレスらしい豪快なファイトを見せました。派手なスター性では馬場や猪木に及ばなくても、職人的な技術や闘志で観客を魅了しました。
この時代はスター不在と言われることもありますが、レスラー個々の力量を見ると、決してレベルが低かったわけではありません。
旧日本プロレス後期に残る名勝負と評価される試合
旧日本プロレス後期には、坂口征二、大木金太郎、キラー・カール・クラップ、ルーク・グラハムなどとの対戦で印象的な試合が残っています。
特に坂口征二の大型外国人レスラーとの対戦は、体格差を生かした攻防や力勝負が魅力でした。当時のプロレスファンにとっては、派手な技の応酬よりも、意地と意地がぶつかる重厚な試合が評価されていました。
また、若手時代のジャンボ鶴田が日本プロレスに在籍していた時期もあり、後の全日本プロレスを代表するスターの成長過程を見ることができる貴重な時代でもあります。
猪木や馬場の時代とは違う旧日本プロレスの魅力
馬場や猪木がいた時代の日本プロレスは、絶対的なスターを中心に展開される物語性が大きな魅力でした。一方、2人が去った後の時代は、団体を背負う選手たちの責任感や意地が前面に出た時代でした。
例えば、スター選手が少ない状況でも観客を満足させるため、選手同士が試合内容で評価を勝ち取ろうとしていました。そのため、現在の視点で見ると地味に感じる試合でも、当時の背景を知ることで価値が見えてきます。
プロレスは勝敗だけではなく、時代背景や選手の立場を含めて楽しむものです。旧日本プロレス後期の試合も、その時代ならではのドラマがあります。
日本プロレス崩壊が後のプロレス界へ与えた影響
日本プロレスの崩壊後、プロレス界の中心は新日本プロレスと全日本プロレスへ移っていきました。しかし、旧日本プロレスに残った選手や経験は、その後の両団体にも大きな影響を与えています。
坂口征二は新日本プロレスへ移籍して重要な役割を果たし、ジャンボ鶴田は全日本プロレスでトップスターへ成長しました。つまり、旧日本プロレス最後の時代は、次世代のスターが育つ過程でもありました。
崩壊した団体という印象だけで見ると見落としてしまいますが、日本プロレス史において重要な橋渡しの時期だったと言えます。
まとめ:馬場・猪木退団後も旧日本プロレスには名勝負が存在した
馬場・猪木という巨大なスターを失ったことで、旧日本プロレスは苦しい状況になりました。しかし、その期間にも坂口征二や大木金太郎を中心とした熱戦や、後の時代につながる重要な試合が数多く存在します。
黄金期と比較すると注目度は低くなりますが、選手たちの意地やプロレスへの情熱を見ることができる時代でもあります。
旧日本プロレス後期は単なる衰退期ではなく、日本プロレスが新しい時代へ移行するための重要な歴史の一部として評価できるでしょう。


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