昭和を代表する大横綱・千代の富士の引退は、大相撲史に残る大きな出来事でした。特に若手だった貴花田(後の貴乃花)に敗れた一番は、世代交代を象徴する取組として現在でも語り継がれています。
一方で、「もし貴闘力戦に勝っていたら引退は延びたのではないか」「その後も勝ち続けていたら現役を続けたのではないか」という疑問を持つ人もいます。この記事では、千代の富士の最後の場所の流れや、引退を決断した背景について詳しく解説します。
千代の富士が引退した1991年夏場所の状況
千代の富士が引退を表明したのは、1991年5月場所(夏場所)の途中でした。この場所の千代の富士は、初日から連敗を喫するなど、横綱としては苦しいスタートになりました。
特に注目されたのが2日目の貴花田との対戦です。当時18歳だった貴花田は、将来の横綱候補として注目されていた若手力士でした。
この一番で千代の富士は敗れ、若手の台頭を象徴する一戦となりました。この敗戦が引退の大きなきっかけとして語られることが多くあります。
貴花田戦だけが引退理由だったわけではない
しかし、千代の富士の引退理由は、単純に貴花田に負けたからというだけではありません。
千代の富士は当時すでに35歳で、長年にわたり横綱として土俵を支えていました。肩の故障を抱えながら戦い続けており、全盛期のような力を維持することは難しくなっていました。
横綱は常に優勝争いを期待される立場です。そのため、本人が「以前のような相撲が取れない」と感じた時点で、引き際を強く意識していたと考えられます。
もし貴闘力に勝っていたら引退は延びたのか
仮に千代の富士が貴闘力戦に勝っていた場合、引退表明のタイミングが少し変わった可能性はあります。
力士にとって勝利は大きな自信になります。もし連敗を止め、その後も白星を重ねていれば、「まだやれる」という気持ちになった可能性はあります。
ただし、千代の富士の場合は一つの敗戦だけで判断したというより、自身の体力や相撲内容を総合的に見て決断したと考えられます。
もし優勝争いをしていたら現役を続けた可能性
もし千代の富士がその場所で優勝争いをするほどの成績を残していたなら、引退時期が変わった可能性はあります。
横綱として結果を残せている間は、本人も周囲も現役続行を望むことが自然です。実際、多くの大横綱は成績が維持できる限り土俵に立ち続けています。
しかし、千代の富士の場合、単なる勝敗だけではなく「横綱としての相撲が取れているか」という点を非常に重視していた力士でした。
例えば、勝ち星だけを追うのではなく、相手を圧倒する自分らしい相撲ができなくなった時には、潔く身を引くという美学を持っていました。
千代の富士が選んだ引き際の美学
千代の富士は通算1045勝、幕内優勝31回という圧倒的な実績を残しました。現役終盤まで高い人気を誇り、多くのファンから支持された横綱です。
そのため、引退は「力がなくなったから辞めた」というより、「横綱として求められる姿を維持できないと判断した」という意味合いが強いと言われています。
大相撲では、横綱には降格がありません。一度横綱になった力士は、進退を自分自身で決める必要があります。千代の富士は、その責任を誰よりも理解していた力士でした。
まとめ
千代の富士は貴花田に敗れたことが大きな転機になりましたが、引退理由はその一番だけではありませんでした。
もし貴闘力に勝ち、その後も勝ち続けていれば引退が少し延びた可能性はあります。しかし、故障や年齢、横綱としての責任を考えると、いずれ近い時期に決断していた可能性も高いです。
千代の富士の引退は、若手に敗れた悔しさだけではなく、自分自身の限界を見極めた横綱らしい決断だったと言えるでしょう。

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