稀勢の里はケガから復活できたのか?休場して治療に専念していた場合の可能性を考察

大相撲

元横綱稀勢の里は、横綱昇進直後の大ケガによって本来の力を発揮できないまま引退した力士として知られています。引退後に朝乃山との稽古で圧倒的な強さを見せたことから、「もしケガの治療に専念していれば復活できたのではないか」と考える相撲ファンも少なくありません。この記事では、稀勢の里のケガの状況や当時の相撲界の環境を踏まえ、休場期間を設けていた場合の可能性について考察します。

稀勢の里が苦しんだ左胸部の大ケガとは

稀勢の里の転機となったのは、横綱昇進後の春場所で負った左胸や左上腕付近の大きな負傷でした。新横綱として優勝争いを制した直後の場所でのケガだったため、本人も周囲も「休むより出場したい」という気持ちが強かったと考えられます。

しかし、相撲は立ち合いから相手と激しくぶつかり合う競技です。特に稀勢の里のように左腕を武器にして相手を起こす相撲では、胸や腕の状態は非常に重要でした。

結果として、十分に回復しない状態で出場と休場を繰り返す形になり、本来の押し相撲や左四つからの攻めが見られる機会は減っていきました。

朝乃山との稽古で見せた強さが示した可能性

稀勢の里が引退後、朝乃山との稽古で17番取って16勝1敗という内容を残したことは、多くの相撲ファンに衝撃を与えました。

もちろん稽古と本場所では条件が異なりますが、この結果から分かるのは、ケガによって失われたものが単純な加齢による衰えだけではなかったということです。

全盛期の稀勢の里は、身長や体格を生かした圧力、強烈な左差し、土俵際での粘りが大きな武器でした。体が万全であれば、引退時の年齢を考えても一定期間は高いレベルで戦えた可能性があります。

もし3場所から6場所休場していたら復活できたのか

仮にケガをした直後に3場所から6場所ほど完全休養し、治療とリハビリに集中していた場合、復活の可能性は現在より高かったと考えられます。

特に稀勢の里の場合、ケガそのものよりも「治りきらない状態で相撲を取り続けたこと」が大きな問題でした。筋肉系の負傷は無理を重ねることで慢性化し、本来の動きを取り戻すまで時間がかかることがあります。

ただし、横綱という立場では休場が続くほど周囲からの期待やプレッシャーも大きくなります。そのため、精神面も含めて完全復活できたかどうかは簡単には判断できません。

復活できた場合、何回優勝できた可能性があるのか

ケガが完全に回復していた場合でも、優勝回数を正確に予測することはできません。当時は白鵬、鶴竜、日馬富士などの実力者がおり、安定して優勝するには非常に高いレベルが必要でした。

しかし、稀勢の里は横綱昇進前に年間最多勝を獲得するなど、安定して上位で戦える力を持っていました。全盛期の力を数年間維持できていれば、2回から数回程度の優勝を追加できた可能性は十分あります。

特に横綱昇進直後の勢いや、左の攻めが完全に戻っていれば、大関時代のような安定感に加えて横綱としての自信も加わり、優勝争いに絡む場所は増えていたと考えられます。

稀勢の里のケースから見るケガとの向き合い方

稀勢の里の例は、トップアスリートにとってケガの治療期間がどれほど重要かを示しています。実力がある選手でも、無理をして復帰を急ぐことで本来の能力を発揮できなくなる場合があります。

一方で、横綱という地位にいた稀勢の里が簡単に休場を選べなかった事情もあります。ファンの期待、責任感、本人の勝負へのこだわりがあり、それが稀勢の里らしさでもありました。

もし別のタイミングで十分な休養を取れていたら、違った晩年を見ることができた可能性はありますが、短期間で必ず復活できたとは言い切れません。

まとめ

稀勢の里は、ケガによって全盛期の力を発揮する期間を失った可能性が高い横綱です。もし3場所から6場所ほど休場して治療に専念していれば、復活して優勝争いに戻った可能性は十分ありました。

ただし、横綱としての責任や当時の相撲界の状況を考えると、何度も優勝できたと断定することはできません。それでも、万全な稀勢の里が数年間土俵に立ち続けていたら、さらに歴史に残る活躍を見せていた可能性はあります。

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