ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんは、日本プロレス史を代表する2大スターであり、後に「BI砲」と呼ばれる黄金コンビを結成しました。両者は圧倒的な存在感を持っていたため、シングルやタッグマッチでフォール勝ちを収めたレスラーは非常に限られています。
この記事では、日本プロレス時代から全日本プロレス時代までを含め、馬場さんと猪木さんにフォール勝ちしたレスラー、そして天龍源一郎さんの記録がなぜ特別視されるのかについて解説します。
BI砲と呼ばれた馬場・猪木の存在感
ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんは、日本プロレス時代に若手時代から頭角を現し、その後日本プロレス界を背負う存在になりました。
馬場さんは身長209cmという圧倒的な体格を持つ大型レスラーとして人気を集め、猪木さんは闘志あふれるファイトスタイルで観客を魅了しました。
1960年代には2人がタッグを組み、「BI砲」として日本プロレスの黄金時代を築きました。そのため、対戦相手から見れば2人から勝利を奪うこと自体が非常に大きな意味を持っていました。
日本プロレス時代に馬場と猪木から勝利したレスラー
「BI砲にフォール勝ちしたのは天龍源一郎だけ」という話は、主に後年の全日本プロレス時代以降の評価として語られることが多いものです。
しかし、日本プロレス時代までさかのぼると、馬場さんや猪木さんが若手だった時代には、先輩レスラーが勝利した記録があります。
当時のプロレス界では、若手が成長していく過程で先輩レスラーに敗れることは珍しくありませんでした。現在の絶対的なスター選手としてのイメージとは異なり、馬場さんや猪木さんにも若手時代がありました。
若手時代の馬場・猪木に勝利した先輩レスラーたち
日本プロレス時代には、力道山時代から活躍していた豊登道春さん、吉村道明さん、遠藤幸吉さんなど、多くの実力者がいました。
こうした先輩レスラーとの対戦では、馬場さんや猪木さんが敗れる試合も存在しました。ただし、それらは現在のような「大スターから金星を奪った」という意味合いではなく、若手レスラーの成長過程における試合として位置付けられています。
そのため、後年の馬場さんと猪木さんが団体の象徴となった後にフォール勝ちした記録とは、意味合いが大きく異なります。
天龍源一郎が特別視される理由
天龍源一郎さんが特別視される理由は、完成されたトップスター時代のジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの両方からシングルで勝利した点にあります。
1980年代以降、馬場さんと猪木さんは日本プロレス界の頂点に君臨する存在でした。その時代に両者からフォール勝ちを収めることは非常に難しいことでした。
天龍さんは、1980年代後半から全日本プロレスで「天龍革命」を起こし、既存の勢力図を変えたレスラーです。その実績の一つとして、馬場さんや猪木さんからの勝利が語り継がれています。
大木金太郎やビル・ロビンソンの馬場戦勝利について
大木金太郎さんやビル・ロビンソンさんは、日本プロレス界でも非常に実績のある強豪レスラーでした。全日本プロレス参戦時にも、ジャイアント馬場さんと激しい試合を繰り広げています。
特に三本勝負のタッグマッチでは、一本ごとの勝敗が記録されるため、「試合全体では負けたが、一本はフォール勝ちした」というケースが存在する可能性があります。
ただし、プロレスの記録では大会全体の勝敗や決着が重視されることが多く、一本勝ちの扱いは資料によって表現が異なる場合があります。
なぜ馬場・猪木からのフォール勝ちは価値が高かったのか
プロレスでは、単純な勝敗だけではなく、時代背景や選手の立場によって勝利の意味が変わります。
例えば、若手時代の馬場さんや猪木さんに先輩が勝つことと、団体の象徴になった後の2人に勝つことでは、同じフォール勝ちでも重みが違います。
そのため、後年のファンが「馬場と猪木の両方に勝ったレスラー」と聞いた場合、完成されたスター時代の2人を倒した選手を指すことが多くなっています。
まとめ|BI砲へのフォール勝ちは時代によって意味が変わる
ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんは、若手時代には先輩レスラーに敗れることもありました。そのため、日本プロレス時代まで含めれば2人に勝利したレスラーは存在します。
しかし、後年の絶対的なスターとなった馬場さんと猪木さんからフォール勝ちしたという意味では、その記録は非常に限られています。
天龍源一郎さんの偉業が現在でも語り継がれるのは、単なる勝利ではなく、日本プロレス界の頂点にいた2人を相手に結果を残したからなのです。


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