玉の海は1968年初優勝後に横綱昇進できたのか?大関時代の成績と昇進条件を解説

大相撲

玉の海は昭和を代表する名力士の一人であり、後に横綱へ昇進して優れた実績を残しました。特に大関時代の1968年には、12勝、12勝、13勝初優勝という非常に高い成績を残しており、この時点で横綱昇進でもよかったのではないかと考える相撲ファンもいます。この記事では、当時の横綱昇進基準や玉の海の成績、もし初優勝後に昇進していた場合の可能性について解説します。

玉の海が1968年に残した大関時代の成績

玉の海は1967年に大関へ昇進し、翌1968年には大関として安定した強さを発揮しました。1968年1月場所では12勝、3月場所でも12勝、5月場所では13勝を挙げて初優勝を果たしています。

現在の感覚で見ると、12勝を2場所続けたうえで優勝まで達成しているため、横綱昇進の候補として考えられる十分な成績に見えます。

しかし、当時の横綱昇進は単純な勝ち星だけではなく、直近場所の内容や横綱としての品格、安定感なども含めて慎重に判断されていました。

当時の横綱昇進基準は現在とは少し違った

現在の横綱昇進では、一般的に大関が直近3場所で優勝またはそれに準ずる成績を残すことが重要視されています。しかし、昭和40年代当時は現在のように明確な数字の基準が固定されていたわけではありません。

特に横綱という地位は一度昇進すると原則として降格がなく、成績不振が続けば引退を求められる非常に重い地位でした。そのため、日本相撲協会や横綱審議委員会は慎重に判断していました。

玉の海の場合、1968年5月場所の優勝は大きな評価材料になりましたが、その時点では「横綱として長期間活躍できるか」という部分を見極める段階だったと考えられます。

初優勝後に玉の海を横綱へ上げなかった理由

玉の海が1968年5月場所後に横綱昇進しなかった大きな理由は、優勝を含む実績がまだ十分な継続性を示しているとは判断されなかったためです。

12勝、12勝、13勝という成績は非常に立派でしたが、当時の横綱昇進では単に3場所の数字だけでなく、横綱級の力士として認められる圧倒的な存在感も求められていました。

また当時は大鵬、柏戸といった強豪横綱が存在した時代であり、次代の横綱候補にはより慎重な判断が必要でした。

その後の玉の海はどのように横綱へ昇進したのか

玉の海は1968年以降も大関として活躍を続け、さらに実力を証明していきました。1970年には連続優勝を達成し、ようやく横綱昇進を果たしています。

横綱昇進後の玉の海は、安定した取り口と高い技術力で評価され、短い現役生活ながら名横綱として記憶されています。

結果的に見ると、1968年の時点で横綱候補として十分な実力を持っていたことは間違いありませんが、協会が求めた「継続した圧倒的な強さ」を示した後に昇進した形になります。

もし1968年5月場所後に横綱昇進していたらどうなったか

仮に玉の海が1968年5月場所後に横綱へ昇進していた場合でも、実力面では横綱として活躍できた可能性は高いでしょう。

大関時代の成績を見る限り、すでに横綱級の力を持っており、その後の活躍を考えると早すぎる昇進だったとは言い切れません。

一方で、横綱昇進後に結果を残せなければ評価が厳しくなる可能性もありました。当時の慎重な判断は、玉の海という力士を長く評価するうえでは合理的だったとも考えられます。

まとめ:玉の海は1968年時点で横綱級だったが昇進には慎重な時代だった

玉の海は1968年に12勝、12勝、13勝初優勝という素晴らしい成績を残しており、横綱候補として十分な実力を持っていました。

ただし、当時の横綱昇進は現在以上に慎重であり、一時的な好成績だけではなく継続した強さが求められていました。

結果として玉の海は1970年に横綱へ昇進しましたが、その後の活躍を見ると、1968年の時点ですでに横綱に匹敵する実力を備えていた力士だったと言えるでしょう。

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