大相撲の歴史を調べると、「初代横綱は誰なのか」という疑問にたどり着く人は少なくありません。現在では横綱は最高位として明確に存在していますが、江戸時代には現在のような横綱制度はまだ確立されていませんでした。
そのため、最初の横綱が誰だったのかについては、現代の番付制度のようにはっきり決めることが難しい部分があります。この記事では、江戸時代の横綱の始まりや、初代横綱とされる力士について詳しく解説します。
江戸時代には現在のような横綱制度は存在しなかった
現在の大相撲では、横綱は番付上の最高位として扱われています。しかし、江戸時代の相撲には現在のような横綱という地位はありませんでした。
江戸時代の力士は、大関を最高位として扱われる時代が長く、横綱は番付の地位ではなく、特別な称号のような存在でした。
当時の横綱は、強豪力士が神社などで行う「横綱土俵入り」を許された証であり、現在のように大関の上にある正式な番付ではありませんでした。
初代横綱として最も有力とされるのは明石志賀之助
一般的に「初代横綱」として紹介されることが多い力士は、明石志賀之助(あかししがのすけ)です。
明石志賀之助は江戸時代初期に活躍したとされ、1684年頃に初めて横綱の称号を与えられたと伝えられています。
しかし、明石志賀之助については史料が非常に少なく、実在した人物なのか、後世に作られた伝説的な存在なのかについて議論があります。
なぜ初代横綱が不明と言われるのか
初代横綱がはっきりしない最大の理由は、江戸時代初期の相撲記録が十分に残っていないためです。
現在のように公式な記録管理が行われていたわけではなく、力士の成績や番付の資料も限られています。そのため、「誰が最初の横綱だったのか」を現代の基準で確定することは困難です。
例えば、後世に作成された相撲史の資料では明石志賀之助が初代横綱として扱われていますが、同時代の確実な記録によって証明されているわけではありません。
谷風梶之助が実質的な初代横綱と考えられる理由
明石志賀之助とは別に、谷風梶之助(たにかぜかじのすけ)を実質的な初代横綱と考える意見もあります。
谷風は江戸時代中期に活躍した大力士で、圧倒的な強さと名声を誇りました。また、横綱土俵入りを行った記録が比較的明確に残っているため、歴史的な横綱の始まりとして扱われることがあります。
現在の相撲史では、明石志賀之助を初代横綱、谷風梶之助を実質的な横綱制度の確立者として見る考え方が一般的です。
横綱制度が現在の形になったのは明治時代以降
現在のように横綱が番付上の最高位として定着したのは、江戸時代ではなく明治時代以降です。
明治時代になると相撲界の制度が整えられ、横綱は大関の上に位置する特別な地位として認識されるようになりました。
その後、横綱審議委員会などの制度も整備され、現在のような厳格な昇進基準を持つ横綱制度へ発展していきました。
まとめ
大相撲の初代横綱については、現在でも完全に確定しているわけではありません。一般的には明石志賀之助が初代横綱とされていますが、史料不足から実在性について議論があります。
一方で、谷風梶之助は記録が比較的明確で、現在の横綱制度につながる存在として高く評価されています。
つまり、「初代横綱は明石志賀之助」という答えが一般的ですが、江戸時代には現在の横綱制度とは異なる事情があったため、歴史的には不明な部分が残されているというのが実際のところです。

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